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時空を超える舞台

佐藤真理子

 

私は長い歴史を経て守られている物は一種のタイムマシンだなと思います。能は人間がつくったものですが、人間の一生を遙かに上回る年月を生きていて、それが時間を超えて現代の人間の前に存在していることは驚嘆すべきことだし、戦渦や様々な歴史の流れの中で能が残っていることは、能自体に素晴らしい力があることの証拠のような気がします。

だから私は、能の舞台を観ると、私と全く違う時代を生きた人々も同じ舞台を観ていたのだろうかと、感慨深い思いがします。

それから、事始の活動に携わって能の演目について以前より少し深く考えるようになってから思うことは、能の演目を作った人々というのは現代の私達と同じような喜怒哀楽の感情を持っていて、そういったものをひとつひとつのセリフや動きの中に、一切の無駄を排除して、本当に美しくあらわしているんだなあということです。千年くらい昔の人がつくりだしたものによって現代を生きている私達の心が動かされるということに、やっぱり能ってタイムマシンだなあとつくづく思わせられます。

今回の演目である藤戸は戦争やそれによって犠牲になる庶民、親子の情愛や悲しみが、舞台を観ている私達にひしひしと伝わってくるものだと思います。能楽事始では委員の中で事前に公演される演目を一通り観て確認するための勉強会があり、その際私は藤戸を初めて観ましたが、舞台の上の演者が悲しみを表現するために手で顔を覆って涙を流すような仕草をするシオリに大きく心を動かされました。

実際に能を目の当たりにすると、いつのまにか舞台を観ているはずの自分の心は舞台の中に、舞台の背景である何百年も昔に飛んでいく、という体験があると思います。

本当にシンプルなもので成り立っている舞台ですが、それゆえにありありと情景が目の前に広がることがあります。

私は、これが長い歴史を背負いながら私達の何倍もの時間を生きて、これからも生き続ける能の醍醐味だと思います。