
装束の美と身体の強度について
黒川翔永
私が能楽鑑賞において真っ先に心を引かれるのは、その外見できる美しさ、特に装束である。装束そのものの素材や形態の美しさを語るだけでも長くなりそうであるが、私はその道に詳しくないのでここで触れることはしない。私が惹かれるのは、身体の動きによって変わってゆく装束の形が、舞台中ずっと、見事に制御されていることの、その美しさである。舞台上で直立しているとき、袖が左右対称に末広がりの美しさを見せることはもとより、足を運ぶときも、踏み足をするときも、座るときでさえも、装束の表情が乱れることが決してない。つややかな布地が反射する舞台の光は、不規則な影をその表面に落とすことなく、優しく観客の目を撫でてくれる。一つ一つの「形」の完全な造形美に、私は台詞を忘れて見入ってしまうこともしばしばである。
このような制御された装束の動きを実現しているのは、当然、その中で動いている能楽師の制御された身体である。尼ヶ崎彬氏は「能楽師はただ立つだけで強い身体の相貌を作り出すことを目標として、構えの修行をする」(『ダンス・クリティーク』)と述べているが、その強さはその身体を覆う装束によって体現されているとはいえないだろうか。当然ながら、どんな舞台作品でもそれを見る魅力の1つは俳優の動きにあると言えるだろうが、能楽において特徴的なのは、その魅力が動きそのもののダイナミズムによって表現されるのではなく、「まだ発動されていない動きの強さ」(同上)にあるということである。すなわち、動作への予感と、その一方でそれを抑止している身体の強度、その洗練された抑制の美こそが能楽の魅力だと私は考えている。装束の制御された動き方は、その美を体現しているのである。
もちろん、装束を着ているのは、マネキンでも、ロボットでもなく、1人の人間である。先日本を読んでいたら、能楽師の身体が非常に強く緊張しているという考えは間違っているという記述を見つけた(野村万之丞『マスクロード 幻の伎楽再現の旅』)。私たちが目にしているのは、ただ硬直した骨格にかぶせられた布地の塊ではない。能楽師が座るとき、装束は優しくゆっくりと折りたたまれる。凛としたたたずまいの中からもほのかに伝わってくる優しさや息づかい。ここにこそ、私が吸い込まれるように見入ってしまう、装束の美しさがあるのではないだろうか。